雪国と温泉♡

作成: 日時: 2022年12月17日
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松之山温泉/十日町

日本三大薬湯の一つで現代版湯治

有馬温泉(兵庫県)、草津温泉(群馬県)とともに日本三大薬湯と称される松之山温泉は豪雪地域である雪国観光圏の中でも屈指の豪雪地帯にある。近年道路が開通するまでは雪に覆われる冬の数ヶ月は陸の孤島であったという。なぜ松之山温泉が"薬湯"と言われるのかその理由をここで「ひなの宿 ちとせ」を営む柳一成さんに伺った。「まず、溶存物質が多い、つまり成分濃度が高いことが挙げられます。溶存物質は基準値の約16倍、中でも消毒作用のあるメタホウ酸は50倍以上も含有されています。ですから、塩化物泉の適応症+メタホウ酸の消毒作用で、切り傷などには抜群の効力があると考えられます。次に、高張性があるということです。高張性がある温泉は温泉の成分が体内にしみこみやすい特徴を持っています。また、塩化物泉なので塩水パック効果があり、塩分が毛穴に入り体内に吸収された成分を外に出にくくするために、お風呂から出た後もいつまでもポカポカです。さらに美肌効果も期待できます。最後に高温泉であることですかね。」なんでも松之山温泉は約1200万年前の化石海水だという。なめると確かに塩辛い。塩分がとても強いこの温泉でつくられる温泉玉子は塩がいらないほど。
近年ではその温泉を暮らしに活かす様々な取り組みにも挑戦している。地層に閉じ込められた温泉が高い圧力・高温で噴き出す「ジオプレッシャー型の化石海水温泉」を利用してバイナリー発電(自然の力を活用した発電)を行っている。また温泉街の道路は温泉の熱を利用して融雪に利用しているそうだ。
雪に覆われる松之山では温泉は住む人にひと時の安らぎを与えたに違いない。また近隣の農家の方には古くから湯治の場所として親しまれてきた。最近ではリモートワークや長期滞在も可能な「湯治BAR」という施設もお目見えしたので働きながら温泉を楽しんだり、ここを拠点にして長期間滞在したりと現在的な湯治もできそうである。

今年松之山温泉に新たな拠点が誕生した。「湯治BAR」は“温泉街を暮らすように滞在する”をコンセプトにした多目的施設。1階は観光案内所である松之山ビジターセンターとバーにもなるフリースペース、2階は宿泊施設となっている。

 

越後湯沢温泉/湯沢

“雪国”の温泉ものがたり

越後湯沢温泉の開湯は承保2年というから平安中期、西暦に直すと1079年というから相当昔の話だ。新潟県北にある新発田の郷士であった高橋半六が旅の途中で偶然にもここで温泉を発見したことから越後湯沢温泉の歴史が始まった。高橋半六の子孫でもある「雪国の宿 高半」の第37代湯守である高橋五輪夫さんは語ります「日本の温泉は弘法大師か動物が発見した温泉が多いのですが、ここは日本では珍しく一般の人が発見した温泉です。以前はこの辺は"愛宕"と呼ばれていましたが、半六が温泉を発見してから"湯沢"と呼ばれるようになりました。高橋家は幕府から湯銀と呼ばれる入湯税を徴収する"湯守"を代々務めてきました」ずっと鄙びた温泉だったそうで、訪れるお客の多くは周辺の農家か湯治客だったそうである。
そんな越後湯沢の転機は、昭和9年に上越線が開通したこと。東京から多くの人が訪れるようになっていく。そんな一人がノーベル賞作家、川端康成。小説「雪国」はここ高半の一室で執筆され、その部屋は"かすみの間"として当時のままに保存されている。その後新幹線や高速道路の開通、スキーブームなどにより今の賑わいに続いていった。
「高半」の温泉は卵の湯と言われている。ゆで卵のような硫黄の香りと、湯花が溶き卵のように見えることからその名がついた。「この温泉はボーリングなどせず昔からの自然に湧き出す源泉そのままを使っています。その温度が入浴にちょうどいい43・5℃。ですから沸かしも加水もせずそのまま源泉をかけ流ししています。温泉は源泉から引く過程や湯船で空気と触れることで酸化してしまうものですが、浴槽は3時間で1回入れ替わる常にフレッシュな"奇跡の温泉"なのです。酸化されていない温泉成分が細胞へ直接働き、湯から上がっても1枚肌着をまとっているようにお肌がすべすべになります。」
高橋さんに越後湯沢温泉の魅力を伺った。「首都圏から近かったり、新幹線や高速道路などのアクセスが良かったり、スキーをはじめ様々なアクティビティが充実してることはもちろんですが、上信越国立公園でもあるここの自然をおもいっきり味わって欲しいと思います。群馬から山を越えると天気が変わります。温泉の転地効果も実感して欲しいので。」川端の描いた"国境の長いトンネルを越えるとそこは雪国だった"という世界は今なお湯沢には生きている。

高半には温泉地につきものの薬師神社が、なんと館内にある。湯治客は湯上がりに病気の回復と健康を祈る。

 

法師温泉/みなかみ

明治モダンの湯殿に浸かる

「草枕 手枕に似じ 借りざらん 山乃いでゆ乃 丸太のまくら』(与謝野晶子)

昭和の初めの温泉地は当時の上流階級の遊楽の場であった。そこでは歌人らが集い遊び歌会が開催された。歌人 与謝野晶子も夫鉄幹とともにここ法師温泉長寿館に度々訪れた。そこで読んだのがこの句である。
法師温泉は標高847メートル余で群馬県と新潟県の県境三国峠の真下に位置している。長寿館現当主の岡村建さんに歴史を尋ねた。「ここは弘法大師巡錫の折の発見と伝えられます。明治5年に初代である岡村貢の母コンが法師川の川端に湯小屋があったことから、貢と相談して一般の人達や病人にその薬湯を役立ててもらいたいと考え、当時の所有者である三坂神社の神主田村氏から譲り受けて開発したと聞いています」工事は明治6年より始まったが、完成までは約5年、当時のお金で5,652円もの巨費を投じて開発されたという。「更に明治27年には改築を行いましたが、当時国会議員となり東京にも住んでいた貢は当時の洋館建築の影響もあり、鉄道技師でもある英国人に設計依頼して現在の"法師乃湯"の湯殿を明治28年に完成させました」
国鉄時代のフルムーンポスターの舞台にもなった大浴場"法師乃湯"は建築されてから1世紀以上経っているが、明治の洋館建築の佇まいを今もそのままに温泉に浸かることができる。純度100%の源泉が、下に敷き詰めた玉石の間からポコポコ自然湧出し、足下から湧く温泉を楽しめる。「脱衣場として使用していた浴槽の周りの棚も当時のままです。また、4つの湯船を渡す丸太の枕に頭をのせて湯殿の天井を見上げると当時の手書きの効能書きを眺めることもできます」きっと晶子もこの丸太枕に頭をもたれかけながら、前述の句を着想したに違いない。
長寿館の3つある温泉の一つ"玉城乃湯"を平成12年に新築する時に、設計士から"法師乃湯"にシャワーをつけては?と提案されたそうだ。しかし社員全員が反対し、当時のままの桶と石鹸のみの温泉スタイルを貫き通したそうである。岡村さんは語ります「この佇まいを五十年、百年と残していきたい。所有しているというより、預かっている感じなのです。当時のものをそっくり残すのが我々の役割と考えています」
ここに来たらそんな湯守達の想いを心に刻みながら、ここを訪れた明治の文化人たちに想いを馳せ、ゆっくりと時空を超えたひと時を味わいたい。

長寿館の玄関先には晶子の歌碑が訪れる旅人を迎えてくれる。国有形文化財でもある本館・別館は多くの文人・歌人・著名人が滞在した部屋に泊まることができる。

 

大湯温泉/魚沼

幾多の歴史を眺めてきた温泉地

魚沼市にある温泉郷「大湯温泉」ほど幾多の歴史を眺めてきた温泉はないだろう。地域の温泉が地域の歴史とともに歩むものであればそれもまた温泉の宿命なのかもしれない。そんな歴史を中心に大湯温泉のお話を「湯元庄屋 和泉屋旅館」桜井太さんからお話を伺った。
大湯温泉は日本百名山の越後駒ヶ岳から流れる清流佐梨川を挟む温泉地。その開湯は養老二年(718年)僧である行基によるとされるから1300年余りの歴史を持つ。江戸時代、寛永18年湯之谷郷折立で百姓をしていた源蔵が、只見川で上田銀山を発見すると、本格的に銀の採掘が始まった。これにより、周辺には鉱夫、商人、職人、医者、遊女などが集まる鉱山町が形成されていき、最盛期には2万5千人を擁する壮大な都市に発展したという。「大湯の温泉街は三国街道の小出宿から銀山に至る街道である銀山道中の宿場町として随一の湯量と泉質を持っていたことから大きく繁栄しました。庄屋でもあった当家には武士などのお偉いさんも滞在されたと思います」しかし、江戸時代末期の安政6年川の底を誤って掘ってしまい坑内全域に水が入り込み閉山となってしまった。以降は周辺住民の湯治場となっていく。現在、上田銀山の跡地は大部分が奥只見湖の湖底に沈んでいるが、地元の人はダムによってできたこの湖をその歴史にちなみ「銀山湖」と呼んでいる。
そんな大湯温泉が再び脚光を浴びたのは戦後の高度成長期。国の一大プロジェクトとして昭和29年から奥只見ダム建設が始まり、建設関係者の宿泊、接待や宴会など様々なシーンに大湯が重宝され、隆盛の時代を迎えた。また、バブル時代の昭和50年代後半から60年代前半にかけては、上越新幹線開通も伴い更に活況を呈し、焼き鳥・寿司・スナックなどの飲食店、射的やパチンコ店、ストリップ劇場もあった。さらに芸者置屋が15件、芸者数は70名以上と、発展の一途を辿った。「子供の頃は温泉街を歩く下駄の音がうるさくて眠れなかった」というほど賑わい、タクシーの往来も夕方から早朝にかけて途切れることは無かったと言われている。
バブル後は元の落ち着いた湯治場としての温泉地に戻っていった。「温泉街は道も狭く、段差もありますが古き温泉街の佇まいを今に伝えています。大湯温泉を訪れるお客様には、静かな山間の温泉地としての鄙びた魅力を味わって欲しいと思います。大湯の湯は弱アルカリの単純泉。温泉当たりもせず、老若男女どなたでも楽しんでいただけますから」

湯元の住民専用の共同浴場前には温泉を使う洗濯場もある。大湯の温泉は無味無臭無色であるから昔から生活に密着した温泉として古くから住民と暮らしを共にしてきた。